この記事では発刊から30年以上たってもなお思考の入門書と読みつがれている名著「思考の整理学」のオーディオブックを紹介したい。
私は当初「これだけ長く読まれているのは思考を整理する上で普遍の真理が詰まっているからに違いない」などと思っていた。
しかし聴いてみるとなるほど確かに思考に関する重要なエッセンスが詰まっていることが分かるが、本書(オーディオブック)が長年に渡って読みつがれているのはそこがポイントではないことに気がついた。
もちろんエッセー風の文体で書かれたものであるため理解しやすいというのもあるだろうが、本書が今なお読みつがれている本当の理由は、本書の掲げる問題意識がまだ日本社会で解決できていないからである。
もくじ
思考の整理学が時代を超えた名著になった理由
「思考の整理学」が30年以上の時代を超えて名著となった理由は何か。
それは「日本社会では自分の頭で思考する人を今なお強烈に抑圧するから」という説明につきると思う。
例えば日本の学校では先生にそもそも論のような質問をしてもまともな返事が帰ってくることは稀である。
- そもそも勉強するとはどういうことか?
- どうして数学を勉強するのか?
- どうして英語を勉強するのか?
- 学校の勉強とは社会に出てからどういう意味があるのか?
こういったメタ的な問いを持つ人たちは一定数存在するが、きちんと答えてくれる先生は殆どいない。
そもそも論を嫌う社会、黙って周りと同じことをやっている人が尊重される社会、いい大学に入って、有名な企業に就職することが正義の社会・・・
こういった社会で知識人の顔をしている人たちというのが本書で言うところのグライダー人間なわけだが、そのグライダー人間が重宝される社会は、本書が書かれた30年前と今もさほど変わってはいない。
グライダー人間がマジョリティである限り皮肉なことに本書はそのカウンターパート的読み物として今後も読み続けられるだろう。
本書の掲げる普遍的なテーマ「脱・グライダー人間」
本書は冒頭でグライダー人間というものを強烈に批判する。
グライダー人間とは何か?
グライダーとは自力では飛べず何か別の動力源を必要とする航空機のことである。
そしてグライダー人間とは自分の頭で問いを立てることができない人たちを揶揄した造語である。(恐らく外山氏の造語)
グライダー人間は他人が作った問題を解いたり知識を吸収することは得意だが、独創的なアイデアを出したり自分で問題設定したりすることが出来ない。
著者は1983年ごろにそういったグライダー人間的な日本人が幅をきかせつつあることを批判しているわけだが、2019年の日本でも状況はさほど変わっていないように思う。
世の中からグライダー人間は消えていない
外山氏は30年前に書かれた本の中でグライダー人間を脱して自分の頭にエンジンを持つ飛行機型人間を目指せと説いた。
しかし日本の教育システムは今も昔もグライダー人間を作ることをとても得意としているのだと思う。
でなければ本書が今も読まれている理由が説明できない。
30年経ってもグライダー人間が日本社会に多く存在しているからこそ、本書の第1章は強烈に人々に突き刺さるのだ。
社会人が学ぶべき思考の整理学を3つ紹介
このオーディオブックは30年前に発刊された情報がもとだが、2019年の現代に生きる社会人も押さえておくべき3つの思考法がある。本章ではそれを紹介したい。
- 思考を寝かせること
- 思考をメタ化させる
- 第一次現実と第二次現実
思考を寝かせること
筆者は深い思考をするためには急いてはいけないと説く。例えば何か問題となるテーマを見つけたらそれに関する情報を集めたりしながらもじっくりとテーマが煮詰まるのを待つ。
別のテーマを追いかけながら最初の問題は一旦忘れる。忘れるといっても完全に忘れるわけではなく頭の片隅に置いておく。そしてある時、別のところで得たヒントが最初の問題を解くヒントになるというのだ。
現代はあまりにも短納期でアウトプットを求められる。だからこそ思考を寝かせるという方法論を知っているか知っていないかは中長期的に大きな差異を生むだろう。
情報のメタ化
世の中には様々な情報があるが、その情報がメタ情報かそうでないかを認識している人は少ない。
例えば「富士山の標高は3,776メートル」これは一次情報であってメタ情報ではない。これに対して「日本にあるすべての山の平均標高」はメタ情報になる。
別の例で言えば「目黒区の住宅街で昨日痛ましい交通事故があった」というニュースは一次情報だが「日本の過去10年間に起きた交通事故の件数と事故原因」はメタ情報である。
一次情報とメタ情報はどちらも有用性があるが、基本的には一次情報の集積があってメタ情報が生まれる。
そしてメタ情報になればなるほど、情報は抽象的になり普遍的になる。
あなたが普段触れている情報は一次情報だろうかメタ情報だろうか?そういった視点からも思考の整理は始まる。
第一次的現実と第二次的現実
第一次的現実とは我々が直接接している外界のこと。物理的な世界のことである。
それに対して第二次的現実とは、書籍の中の思想や物語、テレビから送られてくる映像などを指す。
本書が書かれた時代にはインターネットがまだそれほど発達していなかったが、今ではこの第二次的現実に当然インターネットも含まれるであろう。
何か問題が起こったとき我々はすぐに第二次的現実にその回答を求めてしまう。
- 頭でっかちになりネットに書いてあった情報を鵜呑みにする就活生。
- テレビで放送されたダイエット方法を信じるもいつまでも痩せることの無い主婦。
- グーグルの検索窓に何でもかんでも答えを求めてしまう人たち。
筆者の主張を借りるならばこれらは全員グライダー人間であり創造的な思考方法ではない。
真に創造的な思考方法を身につけるには、第一次現実の中に根を下ろし思考する必要がある。
一見すると第二次的な現実のほうがまとまりが良く見える。本やネットに書いていることはすでに誰かがまとめてくれた情報だからだ。
しかし日々の生活や仕事の中で実際に行動して自分で仮説を設定し、その仮説をまた自分の行動で検証していくという姿勢がなければ、それはただの情報の消費である。
もしあなたが少しでも知的な活動に従事する社会人ならば、行動と知的世界をなじませることこそが真に創造的な思考にたどり着く近道なのだということを心得ておいたほうがいいだろう。
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